友人が「雨林のデイリークエストで悲しみの精霊を毎回泣かせるのがかわいそう」という旨のことを言った。
優しいな…と思ったのと同時に、私はそういった感覚であのクエストを見ていなかったのだが、それを延々とチャットするこっぱずかしさに耐えきれなかったので、ここに私なりの考察と受け止め方をメモしておこうと思う。
うまくまとめられるか分からないし、いろんな受け止め方があるゲームだと思っているので、あくまでも私の受け止め方だと思って欲しい。
タイトルにも入れたように原罪のネタバレを含みます。
さて、そもそも「原罪」というあのステージ、随分と唐突に宗教観のある単語を入れてくるものだな、と思った。
ていうか元の教派に「転生」という概念は存在しないし(天国へ行ったらそれっきりだし、復活するのはそのまんま復活したのであって決して転生したわけではない)、星の子が再び島へと戻ってくる以上、宗教観はごっちゃであって、あまり厳密にどこかの宗教に当てはめるものではないと思っている。前提として。
それでも「罪」と書かれていれば、「星の子がなんの罪を犯したんだ?」って思うのが普通だと思う。
もともと「原罪」っていうのは、「生まれたことそのものが罪」的な概念のはずだ。
だってひとは食べなければ生きられないので、なにも食べずに、つまり何も犠牲にせずに存在できるような天上の存在とは異なる。
だから、原罪を持たない神の子は尊い、という流れが宗教だ。
私は、星の子が悪いことをした、とはとらえなかった。
星の子は地上の精霊たちを助けに来たのであって、精霊たちがキャンドルに象徴されるエネルギーを取り合って争い自滅していった、らしい、流れは承知している。
でも別に星の子は光を取り合ったりはしない。罪があるとは思いにくい。
それでもゲームの流れとして、星の子は最終的に羽を全て失い、石のようになって割れて消えていく。それなら、ここで言う「罪」にあたるのはどんな概念なのだろう。
思い出すのは、原罪というタイトルの下にある、「失われし者たちに光を」という表現。
星の子があつめた光を分けてあげて、そうして他の星の子を天へと返す。
じゃぁ星の子のそもそもの使命である「精霊たちを星へと返す」のは、既に道中で終わっているという理解でいいんだろう。
エモートを教えてくれて、二度目からは手を振って消えていく彼らだ。
私は、「原罪」で星の子が他の星の子に渡しているのは、羽という概念ではなく、本質的には「光」であり、イコール「キャンドル」なのだと考えた。
「光」は様々な壁画から、エネルギーとして利用されてきたことが伺える。
そして「キャンドル」は、助けた精霊から、上級のエモートを教えて貰うのに必要なアイテムだ。
キャンドルを集めるとエモートがもらえる、というのは、裏を返せば、キャンドルとは「感情表現」の源である、と読み取れる。
ふわふわと動く星の子は愛らしいし、基本的に相手を傷つける行動はとれない。
「sky」は徹底的に協力しあうようにゲームデザインがなされている。
しかし本来地上では、日常生活では、天上とは異なり、怒りや悲しみが発生するのは仕方のないことなのだ。
だから精霊たちは、「怒る」や「悲しむ」経験をし、エモートをも教えてくれる。
星の子はそういった、地上で過ごした精霊たちから、負の感情を含めたエモートを入手していき、ある意味で「人間らしく」なっていく。
そして「原罪」の地で、光であり感情でもあるはずの羽を他者へと分けることで、地上に落ちてきたときと同じように、感情表現をすることができない、さびついて動きもぎこちない、「人間らしさを失った状態」に戻っていくのだ。
全ての感情表現を失って、魂に戻った星の子が、蹲るだけの星の子に行う最後のアクションが「抱き締める」ことだけであり、いわば全てを受け止める状態になって空へと帰っていく。
感動しないプレイヤーなんているだろうか?
両手を広げた星の子に感情がないだなんて、思うだろうか?
星の子が手に入れてきた「感情」は、決して悪いものじゃないはずだ。
だけれど、空へと帰るためには、その全てを一度手放さなければならないのだ。だって、この最終局面において他のエモートは一切、行えない状態に戻されているのだから。
つまりは、この地で言う「罪」の概念とは、「人間らしくなる」ことであるとも言える。星の子がエモートを使って感情表現をすること、それこそが旅を積み上げ、やりこめばやりこむほど、得られるものだからだ。
長々と書いてしまったのだが、「デイリークエスト」の精霊たちは、「エモートを教える」ことで、いわばエモートという羽を星の子に渡しており、小さな原罪をクリアしている状態だと私はとらえている。
己が強烈に体験した「感情」を手放すことで、彼らはようやく、空へと帰る資格を得ているのだ。
だって、原罪の星の子と同じように、魂になって飛んで行くじゃないか?
だから、「悲しみ」を教えてくれる精霊に、何度も悲しませて可哀そう、と感じる必要はないのだと思う。
彼もしくは彼女は、自分の「悲しみ」という感情であり光を星の子へと伝えることで、空へと帰っていくだけなのだ。
悲しいという感情を持つことができるのは地上だけ。
星の子にとっては得難い経験であり、それでも、空へと帰る前に、星の子もまた、その大切な光を手放さなければならない。
けれども旅路の間は、その感情を使うことが許されている。
存分に使えばいいし、決して精霊たちはそれを責めたりしない。
だって、転生する前に、精霊たちは羽という形で力を分けてくれるから。
そうして転生した星の子は、こんどは他の星の子たちの手伝いをしていく。
手にした感情で思いっきり笑ったり怒ったり、手をひっぱったりして、けれど最後は同じように、ぎこちない羽なしの姿に変わって、旅は続く。
つらつらと書き連ねてしまったけれど、skyで飛び回る星の子のひとりの受け止め方として、流し読みしていただけたなら幸いです。
…真面目な流れでなんなんだけど、友人は大変可愛いリトルのアバターで、私はいつも癒されています。
楽器を弾くと目が細くなるときがあってそれがまたたまらんのですが、「目? 変わる?」と言われたので証拠のスクショをUPして記事を終えようと思う。
この髪型だけなのかそうでもないのか検証するために、自分もリトルのお面をそろそろとるか…。
あととんでもないバグが起きた時があるので、記念にそれものせときますね。